おさらい

1月9日(日)定休日となります。

10日(月祝)営業いたします。

初売りセールは11日(火)まで。

福袋はあと3つ。


SEKIYA 名前の理由

まずは↑をご覧ください。

そんなわけで、いずれ地元の福島大学のある福島市松川町関谷に戻ります。
いつになるか?は、わかりませんが、昨年たまたま店にご来店くださったお客様、
福島大学の教授をされている方、名刺をいただいていたので、年賀状をお送りし、
再度ご来店くださいました。
お互いに盛り上がり、ぜひ出してほしいと言っていただき、出来ることから、
やって行きましょう!!とね。

SEKIYAプロジェクト進行中。3歩くらい進んだ?であります。
ただ、足元に目を落とせば・・・資金は!?2.5歩後退?であります。
チェンバの周り銀行いっぱいあるけれど、どこかの頭取と仲良くできないかなぁ。
そういう問題じゃぁないかなぁ・・・。


テツ

聞こえること、と、伝わっていることは違うんだ。

聞こえること、と、伝わっていることは違うんだ。
別な言い方をすれば、知っていること、と、理解していることは違うんだ。
でしょうか?。

時々思うんでうすよねぇ。
頷いてる、でもあぁ・・・伝わってねぇなぁ・・・と。
続きを読む >>

私の履歴書 まとめ編

2010年ももうすぐ終わりですね。
私は数年間観光地で年越しをしてきたので、実家で年越しをするのが6年ぶり?

箱根仙石原時代はPM11:45頃まで仕事で、寮までの帰宅途中で年越しを迎えました。

群馬北軽井沢時代はマイナス15℃のテニスコートで年明けと同時に打ち上げ花火(市販のもの)を上げるのに、火付け要員をしてから、
レストランにもどり宴会スタッフをしていました。
ちなみにマイナス15℃は家庭用の冷凍庫と、さほど変わらない気温ですね。チャッカマンから、なかなか火が出ません。

箱根強羅時代は、ロビーか食堂で、年明けと同時に振る舞い酒を準備するため、小さい酒樽の蓋を割るべく、金槌を振り下ろしていました。

伊豆城ヶ崎時代も同様。テレビで見るような大きな酒樽・・・あれの10分の1くらいの大きさ。でも簡単に割れない!テレビで放送するようなのは、あらかじめすぐに割れるようにしてるのでしょうね。

沼津暮らし熱海仕事時代(昨年、今年の正月ですね)は、年末年始も普通に(より忙しく)仕事。帰宅後は家で普通の日のように過ごしました。
CAFEなのに年末年始も仕事なの?と、お思いの方、観光地はすっごい人多いのですよ。
年末年始、GW、お盆等、大型連休でいらっしゃる常連様がいるくらいなのです。


なもんで、今年は比較的のんびり過ごしています。なんか落ち着いてるようで落ち着かない。
珈琲が必要な方は遠慮せずお問い合わせください。


テツ

私の履歴書 その6をもう少し・・・

私が今年3月までの2年間働いていた店

CAFE KICHI

熱海にあります(磐梯熱海じゃないよ)。KICHIとは?吉ですか?と
よく聞かれますが、基地です。皆が集まり、楽しみ、様々なことを発信していけるような空間を目指し青木オーナーが名づけたそうです。
店舗デザインは『ケンブリッジの森』藤原氏。
2店舗目である『KICHI+(プラス)』も同様です。

どちらも、とても良い店です。お近くに行く機会がある方は
ぜひ行って見てください。
私はなかなか行くことができない状況ですが、
また絶対に行きたい店です。

開業をしてみて、その大変さを体感し、藤原氏、青木氏の懐の深さ(たぶんこれくらい?いやそれ以上)に感謝と感動をしています。
そのことを糧に福島で、沢山の御支持をいただける店にしていきたいと
おもっております。


テツ

私の履歴書 その6

2008年4月熱海CAFE KICHIでの勤務がスタートしました。
初日はガチガチに緊張しまくって、まるでロボットみたいだったとおもいます。
こなれたホテル経験が邪魔となり、やたらに丁寧過ぎる接客でかなり浮いていたような…。

勤務して、1ヶ月も経たないうちにGWを迎え、観光地熱海の激しさを思い知らされました。
ホテルでも、忙しさはもちろんありますが、基本的に予約で来店人数や時間のピーク、決まった範囲内での仕事等、備えとやるべき時に、やることが決まっている仕事。
ところがCAFEでは、案内、オーダー、運び、片付け、会計、調理、等々臨機応変に考え、動かなければなりませんし、
ピークが常に続くことがあれば、一瞬落ち着き、再度盛り上がる…など、予測不可能です。

この環境に、基本的にマイペースな(要領悪い)私は慣れるまでに時間がかかりました。


そんな私に、辛抱強く、心温かいオーナーをはじめ、仲間がサポートしてくれたおかげで、2年間働くことができました。
私がCAFE KICHIを辞めることを決めたとき、オーナが
「テツには、まだまだ教えたい事があるよ…。」
と、言っていましたが、私の意志を尊重してくれました。


今日はこの辺で。つづく

テツ

私の履歴書 その5をもう少し

2006年2月カフェ『ケンブリッジの森』閉店。という事実。
その後はSTUDIO・ケンブリッジの森として、デザインショールームになるとのこと。
やがて、駅前再開発計画のためビル取り壊しが決まったために。

そこで紹介されたのが、熱海市のカフェ『CAFE KICHI

2008年4月、私の30代は沼津に住み、熱海で働く新たなスタートの始まりとなりました。


ちなみに沼津での住まい、JR沼津駅北口より徒歩30秒、フジワラビル
1F『焼き鳥吟味』(藤原さんのお父上が経営)
2F『ケンブリッジの森
3Fケンブリッジの森倉庫&スタッフ寮(狭)←ケンブリッジ森スタッフYさんの部屋
4Fスタッフ寮(藤原さんの幼少の頃の住まい。かなり広い)←私の部屋
徒歩3分、月極駐車場にマイカーを置いて、電車で熱海まで通勤。


こんな状況を用意されて、家賃水光熱費無料。

私は藤原さんに伺いました
「なんで、(知り合ったばかりの)私にそんなに優しくしてくださるのか、わからないです。」
『俺は優しくしているつもりはないよ。俺がそうしてもらってきたからそうしているだけ』と。

雇用関係があるわけではないけれど、できる限り、この人と行動をともにし、背中を追いかけ、仕事のこと、そして男としての生き方を、勝手に師匠とし、学ぼおと決めたのです。


今日の師匠のブログクライアントでもあり、私も所属していたFBC(フジワラベ−スボールクラブ)4番OPERAシェフの誕生日を動画で祝う、粋な藤原さんらしいお祝い。シェフおめでとうございます!!


テツ


私の履歴書 その5

ホテルの仕事(静岡県伊東市リフレッ○伊豆城ヶ崎)を満了して福島に帰っていた私は
2008年4月16日私の30回目の誕生日。
再び福島から静岡県に向けて車を走らせていました。

2006年
箱根で働いていた時ケンブリッジの森』主宰 藤原慎一郎氏と出会い
自分が福島出身で、現在はホテルで働き、いずれ福島に戻りカフェ開業を目指していることなど
お話させていただきました。

休みのたびカフェに行き、ときに藤原さんが依頼された店の改装工事。
店舗や住宅のための家具の仕入れ等にも同行させていただきました。

やがて私はだんだんと、沼津という街に住んでみたくなりました。
ケンブリッジの森』はもちろん、他の店も魅力的で、何よりも人が好いのです。
この街で暮らし、その魅力を肌で感じてみたくなったのです。

そして、ホテルの仕事が契約満了になった、その後に
カフェ『ケンブリッジの森』で働きたいです。
と藤原さんに相談したのでした。

その結果…。

つづく


テツ

私の履歴書 その5の前に・・・

私の履歴書シリーズその5を書きたいとおもっているのですが
まだ上手くかけません。代わりに他のことでも・・・
ともおもいますが、中途半端でツマラナイでしょうし。
調子がいいと言葉がどんどん生まれてくるのですがねぇ。
な〜んも出てこない。
荷物の整理をしていて古いアルバム見つけると見入って作業が進みませんよね。
あんな感じ・・・。

少しお伝えできることは『ケンブリッジの森』のカフェは今はもう無いのです。


テツ

私の履歴書 その4をもう少し

○フレッツ箱根強羅、伊豆城ヶ崎ともに
通常のシーズンは週1回の休館日がありました。
私がその休みのたびに、通っていたカフェ。沼津『ケンブリッジの森

雑誌カフェ&レストランの『2006カフェシーンは地方から始まる』
という特集記事で知りました。



「10年前の沼津はおしゃれな店が皆無に等しかった」
トレンドリーダー的な店を作れば、沼津も生まれ変わる。
そんな思いを込めて開業した『ケンブリッジの森』。
決して人通りの多くない、ビルの2Fには、
他店のカフェオーナーも、女子高生も集う。
そんな不思議なカフェが沼津に誕生してから、
8年が経とうとしている。

との記事に突き動かされ、
車で1時間程の沼津市と近いこともあり、行ってみました。

『ケンブリッジの森』のメニューに珈琲はありません。
紅茶、フード、スイーツです。
それでも、毎週休みのたびに通っていました。

過酷だった仕事の疲れを癒してくれる『ケンブリッジの森』で
過ごすひと時は何事にも換えがたい素晴らしい時間でした。

時々は紹介された西の富士市のカフェ熱海のカフェにも行くようになり

やがて、完成したばかりのギャラリー『EFFOR』にて
オーナーでデザイナーの『藤原慎一郎』氏と出会ったのでした。

つづく


テツ

私の履歴書 その4

北軽井沢がリゾートバイト最終地となりました。

次の場所は箱根強羅、仕事はホテル業全般。
役職はアシスタントマネージャー(副支配人)
何故にこんな偉そうな肩書きがついたかといいますと。

箱根仙石原時代のカフェ&バー201常連客(社員なんですが)F氏が
本社企画運営課勤務になり、新規事業『リフレ○ツ倶楽部』
を立ち上げるにあたり、現場の人間を探しておりまして、私に白羽の矢を立てた次第。

この事業、企業の所有する保養所を、一般にも開放し
低価格で宿泊できるようにする…というもの。
規模的にはペンションみたいな感じです。
なんせ基本、スタッフ3人で運営ですからね。
だから私は肩書きだけは偉そうな…No.3。
続きを読む >>